《昔は海外旅行で英語が勉強できたものだが、今はそうではない》
僕が20年以上前にインド亜大陸を縦断したとき、行く先々で外国人と会って、英語で話をしていた。
ネパールのカトマンズ空港で出会ったフランス人男性とは、そのあと町を歩いていても、観光地でも何度も会って、会うたびに声を掛け合っていたので、かなり親しくなったよ。
ポカラでも、英国人の登山家や、欧米人旅行者、ホテルのマネージャー、現地の売り子とさえも英語で話をしていた。
カトマンズの病院のイギリス人女性医師には、クリスマスパーティに誘われたっけ。
カトマンズのセーター売りも、闇両替も、ゲストハウスも、英語で話をしていた。
その後、インドでも、スリランカでも、すべて英語だけを使っていた。
インドで覚えているのが、カジュラホで知り合ったオーストラリア人、彼は、バスの中で、絡まれている僕を助けてくれて、ずーっと話をしながら、一緒にアグラまで行ったものだよ。
ジャイプールのツアーに参加したら、欧米人参加者とインド人ガイドの英語のひどさについて、英語で文句を言い合っていた(笑)。
スリランカの古都キャンディの湖を歩いていたら、教師のオーストラリア人女性と彼女がアジア横断をして、ロンドンへ行くまでの話をしたね。
ネパールもインドもスリランカも、英語が使われているので、バスに乗っても、列車に乗っても、旅行代理店でも、ホテルでも、欧米人旅行者とも、インドネシア人の金持ち坊ちゃんとも、すべて英語で話をし続けていた。
そのころは、東南アジアで日本の女の子がエッチするのは、日本語ペラペラの現地人男性ではなくて、インド旅行中の白人男性が多かった。
もちろん彼女らも、ボーイフレンドと英語で話をしていた。
1990年くらいになっても、まだ世界中に日本人旅行者が少なくて、日本語の新聞雑誌、本も、ロンドン、ニューヨーク、ロサンジェルス、パリなどの主要都市以外ではほとんど手に入らず、また、古本も入手できなかった。
古本があったのは、新本がものすごく高価な場所で、僕が見たのはケニアのナイロビ、ブラジルのサンパウロ日本人街だけだったね。
だから、僕の最初の世界一周旅行のときは、日本人にもあまり出会わず、日本語の本も高価だったので、英語の本や新聞、雑誌を毎日読んでいた。
海外のほとんどの国で、週刊誌の「Newsweek」「Time」を見つければすぐに買うし、英字新聞の「International Herald Tribune」は、ほとんど毎日読んでいたものだ。
その上、暇つぶしや、寝るときも、英語のペーパーバックを片っ端から読みまくっていた。
日本に帰ってしまうと、周囲に日本語の本がある。
するとわざわざ英語の本を読む理由がなくて、特別な理由がない限り英語を読まなくなった。
でも、これは、実は、今の海外旅行も同じなんだよね。
今は、世界中で日本語の新聞の衛星版が買えるようになっている。
また、世界中の日本人の集まる場所には、日本語の古本を売るところがある。
日本人宿も増えたので、そこには雑誌や漫画本、文庫本がイヤになるくらいあるんだ。
つまり、今では、海外旅行に出ても、英語を読む機会が少なくなってしまった。
僕が英文のガイドブック「Lonely Planet」を持って旅に出るのは、「せめてガイドブックくらいは英語のやつを使わないと、旅をしていても、日本と変わりがないぜ」と感じているからでもあるんだよね。
でも逆に言うと、旅に出たときも、昔に比べて英語が必要な場面は大きく減ってしまったってこと。
英語なんかができなくても、世界中に日本人だらけだし、日本の情報も手に入るし、インターネット喫茶では日本の海外旅行情報掲示板で、日本語で旅の情報が手に入る(?)のだから、英語なんかできなくてもちっとも困らないんだよね。
ただ、そんな旅行をいくらしても、面白くもなんともないんじゃないかなー、と思うけどさ(涙)。