《英語で話す中身を持ってない日本人は英語を話さない方がいい》
アジア横断旅行のとき、パキスタンからイランの国境で、ハンガリー人の大学生2人と出会った。
国境越えでは旅行者同士一緒になって、助け合うのが海外個人旅行の基本。
両替レートを教えあったり、イランビザをどうやって取ったか経験談を話ししたりして盛り上がった。
国境を越えたら一緒にタクシーをシェアして、ザヒダンの町へ入る。
僕はその日にアルゲバムで有名なバムへ行く予定だったので、彼らとすぐに別れてバスターミナルへ向かったけどね。
二人ともニコニコ愛想のいい人間だったが、一人はかなり英語が話せて、もう一人はほとんど話せなかった。
すると、どうしても英語を話す方とばかり会話をする。
英語の話せない大学生とは、意思が通じないので、彼を自然と無視することになって、彼の印象はほとんどない。
キプロスのラルナカの観光案内所では、チェコ人のコンピューター専攻の大学院生2人と会った。
僕が声をかけて、一緒にニコシアへ行くことにした。
サービスタクシーに乗って、暇つぶしにいろいろ話をした。
ニコシアへ着いても、一緒に観光案内所へ行ったり、グリーンライン(南北キプロスを分ける境界線)を見に行ったりした。
ニコシア名物のアイスクリームを食べながら歩いていった。
ただ、一人は英語がたどたどしかったので、話しにくかったね。
もう一人の方は、かなり英語ができたので、彼ととばかり冗談を言い合っていた。
これでもわかるように、海外旅行の共通語は英語だ。
英語ができないと、人との出会いも減り、付き合い方も浅くなってしまう。
だから、英語ができないまま海外旅行に出ても、結局は日本人としか知り合えず、日本人としか情報交換できず、日本人宿に泊って、日本人同士で固まってしまうことになる。
「英語ができなくても長期海外旅行はできる」という説はもちろん正しい。
でも、海外旅行なんて、金と暇さえあれば誰でもできるよ。
だから、「長期」に「海外」を「旅行」するだけでは、あたりまえすぎて、いまさら旅に出る意味がない。
海外旅行には、「旅先での人との出会い」という重要な要素があるわけだね。
ラルナカの海岸で出会った日本女性は「旅で出会う日本の男性は、旅のことしか話題がなくて、面白くない。外人は世界のいろんなことを議論するし、変わった意見を持っているのに」と文句を言っていた。
僕は、彼女のボーイフレンドのブラジル人男性と3人で、日本のあり方や、インターネットが世界をどう変化させるか、ロシアのヤミ経済の実態などについて、英語で深い議論をしたものだ。
しかし、この議論ができたのは、英語能力のせいではない。
もちろん、ケンブリッジ英検特級(CPE)を持つ世界旅行者は英語がペラペラだ。
でも、英語がペラペラだけでは、英語の議論はできない。
英語で議論をするためには、もともと世界観や自分の考えを持っているかどうか、という知的レベルの問題になるんだ。
日本人は英語ができないとは言っても、ちょっと慣れれば、英語そのものは話せる。
だから、英語の下手なフランス人やイタリア人とも、たどたどしい英語を使って話はできる。
一番問題なのは、英語の能力そのものではなくて、日本人が話す内容を持ってないってことだよ。
日本語でちゃんとした話が出来ないのに、英語で深い話をするなんて、それは不可能。
旅に出れば、少なくとも旅行者同士で話す内容はたくさん出来る。
ということは、海外旅行中に外国人と英語で話できなかったら、一生英語を話すことは出来ないよね。
でも、表面的な旅の共通話題から踏み込んで、英語で自分の考えを語らなければ、つまらない。
日本人は、旅に出る前に、英語を勉強する以前に、「自分の言いたいことを話す」性格を作り上げなければならない。
でも、それは普通の日本人には不可能なんだよ。
だって日本人は、「自分の考えていることを言わないで、黙り込むことによって、日本社会で大人になる」のだから。
しかし、日本社会以外では、自分の考えのない人間は、何をしても駄目だ。
世界一周旅行をしても、旅のことしか話せない、つまらない人間で終わってしまうよ。
でも、日本人とは「自分の考えを持たない、語れない、つまらない人間」だから、日本人は英語は話せないし、話さない方が無難なんだよ。
だって、日本人はもともと、英語で語る中身を持ってないんだから(笑)。
この話 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20060427